はぴねすくるー

道なき茨道を超絶幸せに爆走する生き様を。

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誰かに正解を決められて生きる人生なんてやめろよ

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子どもの頃、読書感想文を書いた。

だいたい1年に1回はそんな授業があったと思う。

みんなの前で読んだり、先生に提出したり。

 

あの頃、出した私の書いた文章は1度も否定されることはなかった。

もちろん私のみならず友達のものも。

 

読んだ人によって感じ方が違うから、それをちゃんと書いて表現したことを褒められていた。

 

なのに、大人になるとそんなことはなかった。

 

 

勝手にいい悪いを他人に判断される

大人になると、何だかよく分からない「常識」だとか「ルール」によっていい悪いを判断されるようになった。

 

誰が決めたのかも分からないそんな塊に勝手に否定される。

 

これはいい。これは悪い。

 

 

そして新しい考え方はすぐに潰される。

 

「それは前例がない」

「それではうまくいかない」

 

ちゃんと話を聞きもせずに、その話に、その発想に寄り添うことも1度受け止めることもなく勝手に判断され勝手になかったことにされる。

 

そんな言葉に耳を傾けて止まる真面目な人間が評価され、自分の意思を貫いた人は異端児と評される。

 

その割に貫いて成功した時は元からずっと応援していたような顔をして、手のひらを返して喜んだりする。

もしくはその人の努力もみらずに

「あの人は才能があったから成功したんだ」

なんて簡単な言葉にまとめてしまう。

 

 

大人は理不尽だ。

 

 

その正解は本当に正解なのか

 

いろんなところから押し付けられる正解。

 

ちゃんと正社員として毎日働く

家に帰って自炊してご飯を食べる

毎月貯金をする

買いたいものはお金を貯めて買う

誰にでも愛想よくする

上司の言うことには従う

会社のやり方に全て倣って仕事をする

 

 

それは誰の正解なの?

社会にとって、会社にとって、家庭にとって、歯車としやすい人の典型的な形に当てはめて扱いやすくしていたいだけじゃないの?

 

その通り従ったらどんな正解の未来が待ってるの?

それは本当に絶対なの?

 

 

いやきっと違う。

どんなに普通になぞって生きたところで悲しい出来事も起こるし、誰かを傷つけたり傷つけられたりすることもあるし、失敗することもあるし、病気になることもある。

 

そしてどれだけ誰かの正解をなぞって生きたところで、それを正解だと思わない人間は必ず存在する。

 

 

結局、その押し付けられた正解とは、押し付けてきた人の価値観に過ぎない。

 

 

 

誰もあなたの人生に責任をとってくれない

どれだけ辞めてと言っても、逃げ出そうとしても、必ずそうやって自分の正解を押し付けて来る人はいる。

 

そんな人はその正解を振りかざすことが正義だと思っているから。

 

あなたのために言ってるんだよ」

なんて思いやるような顔をして、平然と銃口をこちらに向けたまま笑っている。

 

その笑顔が私はすごく嫌いだ。

あなたの正解に従ったところで、私の人生は全てうまくいくわけないでしょ。

だってあなたが生きてきた状況とは全て違うわけで、私とあなただって同じ人間ではないのだから。

じゃあ上手くいかなかったら責任とってくれるの?いやとってくれないでしょ?

だったらアドバイスはありがたいけど、それをしないといけないみたいに押し付けてくるのはやめてよ。

 

いつもこんな言葉をのみこむ。

 

 

何度も言い返したことはある。

けれどその人はその人の正義を貫いているわけだから、なかなか分かり合えないのだ。

 

だからもう言うのはやめて、静かに自分の正解に従うようにしている。

 

 

何が正解なんて分からない

人生は長い。もしかしたら明日終わるかもしれないけど。

願望を込めて、まだ長いと想定した時、今のこの選択が正解かどうかなんて誰にも分からない。

 

全ての答え合わせは死ぬ時にしかできない。

もしかしたら死んだ後になされるかもしれない。

 

若い頃、評価されなくて晩年で花開く人もいれば、死んだ後に評価されてきた人もいる。

どこでどう誰の目に止まるかは分からない。

 

それに、

あなたが正解だと言えば、それはもう正解なのだ。

 

 

だってあなた自身の人生なのだから。

 

 

私は最近苦しい時にはこう思うようにしてる。

 

今はたしかに大した結果はでていない。

思うようにいっていることは少ない。

 

生活は苦しいし、思うように書けないし、もっと多くの人に届けたいのにそんなこともできていないし、仕事も必死だし、人間関係だって苦労してる。

彼氏はいないし、いるかどうかももはやわかんないし、結婚なんてどんどんできない気がしてるし。

 

けれど、今の私はこれでいい。

 

 

今、私は夢の途中にいるから。

ゴールまでの道を歩き出した途中。

 

この道はいつか私の目指す場所に続いている。

今の経験全てがちゃんと繋がっている。

 

だからベクトルだけはずらさない。

もう目指す場所は見失わない。

ただそれだけが決まっていれば大丈夫。

 

ゆっくりでもいい。

立ち止まってもいい。

どこにいて何をしていてもいい。

この道がちゃんと目指すべき場所に続いていることだけを知っていれば大丈夫。

 

 

これは私の人生だから。

 

 

こう思えるようになって、少し楽になった。

 

 

 

私は誰かの正解ではない

こうやって表現をしていると、

「じゃあ有栖も正解を押し付けているのではないか?」

と言われそうだけど。

 

私は押し付けたいのではないから、別に違うと思えばそれでいいし、読まないでいいと思う。

それはそれでその人の人生だから自分にとって必要なものは自分で選んでほしいと思う。

 

逆に私を正解だといってとっても支持してくれる人に関しても、嬉しいけれどもこれが全てだと思わないでほしい。

 

これは私の頭の中の一部ではあるけれども、これが全てではない。

言葉は私自身であり、私自身ではない。

 

ただ、もし何か迷った時に、答えを探す道すがらに、私の発想や言葉が誰かのヒントになればいいなとは思っている。

こんなたくさんの言葉が簡単に手に入るこの時代に、私の言葉で救われた、何かが少し変わったと思ってくれる。

そんな人が増えたら嬉しい。

 

ただそれだけのこと。

 

ただ誰かの背中を少しだけ押したい。

 

 

自分で選ぶ。そして責任を持つ

 

他人任せにしたら、結果が出た時に誰かのせいにできるからたしかに楽だけど。

 

自分の人生だから。

 

 

自分で選べよ。

好きにしろよ。

そして結果に責任持てよ。

 

 

失敗したっていい。

成功したっていい。

 

失敗はその時だけみたら失敗かもしれないけれど、正解にするかどうかは全部自分次第。

 

 

 

全部成功にしろよ。

 

 

そのやり方も正解なんてどこにもないから。

自分だけのやり方を見つけて正解にすればいい。

 

 

もう誰かに正解を決められて生きる人生なんてやめてしまえよ。