1年間が長すぎる。
2018年もあと2ヶ月を切った。
周りからは「もう1年たつね。あっというまだね〜」なんて声が多く聞かれるようになった。
けれど私はいつも思う。
2018年、長すぎやしないか。
もう3年くらい年を越していない気分だ。
大人になると時の流れが早くなるなんてあれはきっと少しだけ嘘だ。
年女の有栖の2018年
まだ終わりかけてはないから、1年を振り返って反省して次の1年の抱負なんてのはまだやらないけれども。
2018年は本当に波乱万丈過ぎて、抱えきれないくらいのいろんなことが起こりまくった1年だった。
楽しい出来事も、刺激的すぎて痛い出来事も。
迷走し、模索し、挑戦し、絶望し、真っ暗闇の中、存在するのかしないのか分からない朧気な光に向かってずっと走り続けてきたような気分だった。
生まれた日、12歳、そして今年。
3回目の戌年は年女という命名に相応しいほど、私の転機の年だった。
このタイミングで…というほど、いろんなことが起こりすぎている。
生きている実感
もちろんこの24年間で最も刺激的で大変だったことは間違いない。
けれどこの人生の中で、1番生きている実感を感じる1年だったと思う。
決断し、覚悟を何度も迫られ、お前なんて必要ない用無しだと言われているような中で何とか理性を保ち、ただただ足掻き、悶え、やっと今日を迎えた。
それでも1年たっていないという衝撃は、どういう言葉で伝えたらいいか分からないほどのものだと思う。
ジャングルに1人、素っ裸で置いていかれたようなものだ。
孤独な戦い
本当に、今までに経験ないほどの孤独な戦いだ。
結局、やったことある人ではないと伝わらない、理解されない、そんな気がずっとしながら寂しくて哀しかった。
どれだけ頑張って生きていたとしても、世間の印象としては所詮フリーランスなのだ。
自由奔放に生きる、社会不適合者である。
誰にも理解されたいという願望すら抱いてはいけないのかと思うほど、やはり誰しも深入りして関わっていきたいとは思わないらしい。
一緒に夢を見たいのに。
誰かと支え合いながら、成長していきたいのに。
普通に生きていないわたしは、普通の幸せすら望んではいけないけないのだろうか。
ずっとそんなことを考えた1年だった。
次はどう生きようか
来年、わたしはどこで何をしているのだろうか。
やりたいこと、成し遂げたいこと、そんなことはたくさんあるけれども、実際何をして生きているのかはわたしにも想像できない。
今の仕事より大事なものができた時、わたしはいともたやすくこの仕事を手放すかもしれない。
それでも形を変えて異なる目標をたて、チャレンジしているだろうとは思う。
この言葉の羅列で何かしら成り上がりたいと思いつつも、この想いを超えてやりたいと思える何かを見つけ、こんな不安定な生活を抜け出したいとどこかで想ってしまう日も少なくはない。
誰か救い出してくれはしないかとさえ思う。
そうなったとして、私自身がその想いとちゃんと折り合いをつけられるかどうかは分からないけれども。
最高を望むとすれば、私はこの仕事でやりたいことを形にし、新しいことにチャレンジをし、そんな私と肩を並べて一緒に人生を歩んでくれる人と切磋琢磨できていたら、なんて思う。
長い、長い2018年があってよかったと本当の意味で思える日がきたら、その時にはわたしはどんな景色を見ているのだろうか。
まだ分からないその日のために。
まだ終わる気配すら見せてくれない2018年を満喫しつつ、盛大に終わらせてあげたいと思う。
最高の1年として。