やっぱり母はすごかった。
私の母は現在59歳です。
24歳の私、21歳の妹の2人の子どもがいます。
きっと一般的に見ると、晩婚で出産も遅め。
そして昔からとても厳しい人でした。
自分にも厳しく、他人にも厳しい。
やるべきことをきっちりやる人だったし、家族の為にいつも一生懸命な頑張り屋。
いつも自分のことよりも人の事を優先しているような人。
私からそんな母を嫌っていました。
厳しい愛情を理解できなかった子供時代
嫌っているという表現は少し異なるかもしれません。
大好きの裏返しのような感情。
母は小さなころに自分の母親を亡くして苦労して生きてきたそうです。
だからもし自分が同じように子どもを残していかなければいけない状況になったとしも、私たちが困らないようにと、本当に厳しく育てられました。
その厳しさを愛情だと幼い私は理解できなかったのです。
どうしてこんなに厳しいのだろう
私は愛されていないんじゃないか
こんな自分だと認めてもらえない
そんな思いを抱えていたように思います。
いつも正しく、一生懸命な母に私の子どもの言い訳など通じるわけもなく・・・
どれだけ抵抗したところで子どもながらに母の正論が正しいことは分かるのです。
それでも自分の思いも分かってほしかった。
自分のことを認めてほしかったし、褒められたかった。
そんな思いをまっすぐ伝えられずに、たくさん母には迷惑をかけてきたし、深い傷を負わせるような発言をいつもしてきました。
ずっと思っていた私の思い
周りの友達の親と比べると、本当に厳しい家庭だったなぁと今でも思います。
例えば、
夏休みは学校からの宿題と別に毎日1ページの漢字の書き取りという宿題が課せられ、適当に書いていたら字が汚いとすべて消される。
小学校の時、結構遠い場所での大会に参加していて、チーム内で問題が起こった日にはそこから自宅まで歩くと言われ本当に歩いて帰宅。
中学校の頃はお小遣い500円。高校になっても3000円。
テストで80点以上で300円ほどのお小遣いアップ制度。
テストで2度連続500点満点450点を取るまでケータイを買ってもらえず、高校1年生の冬までケータイなしの生活。
もちろん外泊禁止で門限は20時半。
大学に行くもの基本的に奨学金で行くのが約束だったので、毎月自分の手元に残るのは4万円だけ。
もう書いていったら結構きりがないくらいですが(笑)
周りの友達にも
「さおりんち厳しいよね!」
と言われていたし、私自身どうしてこんなに厳しいんだろう、他の友達んちはもっと緩くて楽しそうなのにっていつも正直思っていました。
追いたかった夢も母に反対されることが分かっていて言い出せなかったり、追えなかったり。
ずっと自分勝手に生きながらも、自分の好きに生きれていないという不自由さも感じていました。
大人になると本当に役に立ってることが多い
ただ、大人になった今、母の教えがすごく役に立っていると気づくことが多くあります。
何度も注意された字は、社会人になってとても高く評価されることが多くなったし、
勉強をやらされていたおかげで、自分が行きたいと思った高校・大学に受かることができました。
節約生活が身についているおかげで、お金がなくても何とか自分で生きていく術を見つけることができます。
また、母が0歳の頃からずっと読み聞かせをしてくれたおかげで、今でも本を読むのが好きだし、そこで培われた能力があるから、今こうして文章を生業にできているのだと思っています。
夢も母に言い出せないくらいの覚悟だときっと叶わなかった。
だからそういう意味では母に覚悟を試されていてよかったのではないかと思っています。
いいハードルになってくれていたというか。
本当に感謝しかない。
いろんな積み重ねのおかげで今の自分があるんだなと思ってます。
人生の転機でいつも救われてきた
それだけではなく、いつも私の人生にとって大事なタイミング、落ち込んだ時、もうどうしていいか分からなくなった時、いつも私の味方でいて、隣で元気に笑っていてくれたのは母でした。
進路に迷っている時。
部活を続けられなくなった時。
振られた時。
けんかした時。
前に進めなくなった時。
どんなひどい状況の時でも、母は動揺することもなく、いつも通りの態度で気丈に接してくれたし、何も言わずにおいしいごはんを出してくれました。
小学校の頃、バレーばかりの生活でしたが、いつも送り迎えをして応援にきてくれました。
私が理不尽な理由で叩かれている時は、監督に抗議もしてくれました。
中学の時、無謀な高校を受験しようとしていた私を担任も父も反対していたのですが、母だけは私の好きなようにさせてくれて、父を説得してくれました。
その時期、1人で勉強できていなかった私を試験前に全部採点と分析をしてくれました。
私の大きな受験のシーズンは自分の資格の勉強をして、一緒に勉強を頑張ってくれました。
高校の頃、行きたい大学があるというとわざわざオープンキャンパスに3回も連れて行ってくれました。
毎日必ず手作りのお弁当を作って持たせてくれました。
志望校がずっとE判定続きだった私にも「大丈夫だよ!」と前向きに応援してくれました。
大学の時、つらい出来事が起こって、帰省してもう大学に行きたくないと言った時には「もうやめてもいいんだよ」って言ってくれました。
そして4時間以上かかる鹿児島までの道のりを必ず車で送ってくれて、嫌な顔せず自分は日帰りをしてくれました。
新幹線で戻る時には駅のホームで、いつも見えなくなるまで、笑顔で手を振り続けてくれていました。
社会人になって大変なことが続いても必ずおいしいごはんを作って待っていてくれて、私が飲みすぎて電車を寝過ごしたら遠くまで迎えにきてくれました。
昇格した時は私の好物だけを並べてお祝いしてくれました。
会社を辞めると言った時、「いつでも私はさおりの味方だから大丈夫だよ」といって私の選択を応援してくれました。
店を出すと言った時、心配しながらも「やりたいんだったら思い切ってやりなさい」と背中を押してくれました。
もう思い返しても書ききれないくらい、本当にたくさんあります。
いつも誰かの為に生きてきた母
毎日、おいしいご飯を何品も作ってくれて、家事を完璧にしてくれて、お弁当をつくって、家族の心配をして。
朝7時くらいに家を出て、夜11時くらいに仕事から帰ってくるくらい忙しい時期も、家のこと・家族のことは一切手を抜いていませんでした。
いつも母の頭の中は自分のことなんか一切なくて
私たちこどものこと、家族のことが最優先。
その次に仕事先の仲間のこと、利用者さんのこと。
誰にも弱音を吐くことなく、いつも強く、正しく、周りの為に。
大人になってから母と話す中で
「もっと自分の為に生きてきたらよかったのに」
といったことがあります。
その言葉に母はこう答えました。
「私は自分で選んでこうしたかったからしてきただけだから」
母の中では自分の好きなことをやるよりも、
家族が優先だった。
仕事先の仲間が優先だった。
利用者様が優先だった。
私がそうしたからそうしてきただけだと。
父はそんな頑張り屋さんで強い母を好きになったのだと、この前初めて教えてくれました。
たまにその正しさと頑張りようが一緒にいると苦しくなるときもあって、結婚する前は何度か別れを選択したこともあるけれど、それでもそんな母がやっぱり好きだから一緒になったし、結婚して30年近くたつ今でもそういう母が好きだと。
私も同じです。
昔はその正しさとまっすぐド直球でいつも真正面から向き合おうとしてくる母が怖かったし、うざくもあったし、苦しいと思うこともあった。
その熱量をちゃんと受け止めてあげられなかった。
でも今は胸を張って言えます。
いつも誰かの為にこんなに必死になれて
誰かの為にこんなに強くなれる人は他にはいない。
私は最高の母親に育てられたんだなって。
母みたいな母になりたい
私は今まで好きに生きてきて、夢をずっと追ってきました。
自分のためにずっと生きてきました。
けれど、結婚を意識した時、私はどうしてもそこには踏み込めなかった。
それはそんな母の姿に強く憧れてきたからだと思います。
私はいまだにあんなに強くないし、いまでもたくさん母の力を借りて生きています。
うまくいかないことがあったり不安なことがあると、母と話して元気をもらうことも多いです。
だけど、
いつか私が子どもを持った時、母みたいな母親になりたい。
これだけ周りの人に愛情を注げる人になりたい。
誰よりも母の血を濃く受け継いだ私にとってはこの選択は必然だったんだなと感じているし、本格的に店を出してしまう前にそのことに気づけて本当によかったなと思っています。
本当はそんなに強くなくて、繊細で、
それでもいつも誰かの為に一生けん命動いて、
誰かの為にならどれだけでも強くなれる。
不器用で、強がりで、素直じゃなくて、心配性で
でもいつもまっすぐで、真正面から何事にも向き合って
一緒にいると何だかわからないけど安心できる。
頑張り屋で、いつも全力疾走で、笑顔が素敵で、ポジティブ。
周りのことを自分のことのように喜べて
困っている時には全力で助けにいく。
どんな困難にぶつかってもめげない。
愛情が強すぎて、周りに疎まれることもあるけど
それでもその愛情をなくすことはない。
変わらず無償の愛を注いでくれる。
それは私にだけではなく、周りの人にも。
私の人生の中で最も尊敬する人です。
今まで本当にありがとう。
お母さんのこどもに生まれて本当によかった。
こんな大きな存在はまだまだ私には程遠い。
でもいつか、いつか必ず私もこうなれればいいなと。
今は全く追いつける気がしないけれど。
私が今踏み出している一歩一歩が少しずつでもそんな存在に近づいていると信じて今はとにかく頑張っていこうと思っています。
最後に
私は昔からなかなか大事な人の前では素直に思っていることを表現できていないところがあります。
特に母に対してはそうだったと思います。
母の存在が大きすぎて、かなわなすぎて、なんだか少し悔しい気持ちもあったからでしょう。
けんかをして、本当にひどいことを投げかけてしまうこともありました。
ほんとは、そんなこと思っていないのに。
何も言えなくて、感情だけが高ぶってしまって、たくさん傷つけてしまった。
だから本当に伝えたい、大事なことはいつも手紙にして、文章にして、届けていました。
その方が私は本当に言いたい本音をちゃんと伝えられるんだと思います。
最近もよく実家に帰ったり連絡を取る中で本当に存在の大きさを感じているし、伝えたいことはたくさんあるのに、なんだかうまく伝えられていないような、そんな感じがありました。
だから今回、ブログを通して自分の思いをつづることにしました。
この場が一番自分の素直な表現ができるんじゃないかなと思ったのです。
また同時に、今子育てをしているお母さんたちにもこの記事を通して届けたい思いがあります。
最近、私の周りでも結婚して子どもを育てている人が本当に多くなってきて、苦労しているという話も多く聞きます。
そんな頑張るお母さんたちへ。
私はまだ親になったことがありません。
だから母親の気持ちなんて本当の意味では分からないし、きっと想像以上に大変なことをしているんだと思います。
嬉しいこともたくさんあると思うけど、それ以上に大変なこと、つらいこともいっぱいあるんだと思います。
けれど、きっとどんな育て方をしたとしても、
ちゃんと愛情があればいつか子どもは分かってくれます。
私はずっと長い間反抗期を続けてきた分、より感謝を感じています。
うまく表現できなくても。言葉にはできなくても。
心の中ではちゃんと思っています。
だから必ず気づくときがくると信じてほしいなって思います。
そして自分のことも大事にしてください。
私はそんな母に憧れ、大好きな分、反面苦しんできた部分もあります。
私がもっとちゃんとしていれば母は自分の好きなことができたのだろうか。
私たちの為に生きてきた母の人生は幸せだったのだろうか、と。
だからたまには息抜きもしてください。
自分の好きなこともしてください。
自分の人生を生きて、幸せそうにしているお母さんを見るのがこどもは幸せだったりします。
無理はしすぎないでください。
苦しい時は誰か周りの人に頼ってください。
子どもの幸せが親の幸せだと言うのと同じように、
親の幸せも子どもの幸せです。