「普通の人」と「すごい人」の違いとは何なのか
7月14日~16日。
世間で一般的にいう3連休。
3日とも海で遊んでいたありすさおりです!
なぜかいろんなご縁のおかげで、3日とも経営者の方の集まりに参加させていただき、ジェットとか舟とかに乗せていただき、24年目にして初めての海での遊びを満喫させていただきました!!
本当にありがたいことに。
正直、土日は早朝仕事だったし、体力的にはだいぶしんどかったけど。
そんなのどうでもいいくらい貴重な経験をさせていただけたし、新たな感覚を得ることができた最高の3日間でした。
その中で考えたこと、感じたこと。
とにかくみんなすごかった
集まっていた方々は本当に有名な会社とか、大きな会社の経営者の方ばかりでした。
雇われている側じゃないし、金銭的にも余裕があるし、心の余裕もあるし、扱う金額違うし、自家用ジェットだし、時間も自由だろうし。
いわゆる一般的には「成功者」とか「夢を叶えた人」とかそういう表現が正しいのかなって思います。
ただ、何をもって成功と呼ぶのか、何を達成したら夢を叶えたというのか、私には定義できなかったので、今回は私が素直に肌で感じた「すごい」という表現を使わせてもらいます。
特に何か実績とか話さなくても、すごい自慢とか話さなくても、なんか一緒にいればいるほどすごさを感じてくるというか、全然違う世界に生きて違う景色を見ていることをがんがん感じるんですよ。
いちいち当たり前の感覚が違いすぎて(笑)
一般人がいいなーって憧れるような世界がその人たちにとっては当たり前という感じで、それでもそこに完全に満足はしておらず、まだまだ違う景色にわくわくしていて、そこに進むエネルギーが体の中では収まり切れていない感じ。
もうこの言葉で聴いて影響を受けるとか、頭で考えて理解するとかではない、がんがん肌で感じるこの感覚を表現する言葉が私の中には見当たらなくて。
とにかく端的にいうと、「すごい」一択でした。
「普通の人」と「すごい人」の違い4つ
3日間、朝から夜遅くまでずっと一緒に過ごさせていただいて感じた「普通の人」と「すごい人」の違い。
今の自分自身の等身大で理解できたレベルなので、これがあっているかはわかりませんが(笑)
私が感じた「すごい人」がすごい人である理由、「普通の人」との明確な違いをまとめてみました。
1.エネルギーがすごい
皆さんだいたい30代後半から40代前半くらいの方々ばかりだったのですが。
まずもう発するエネルギーが半端ではないし、見た目も年齢よりかなり若く見える!!
普通の40代くらいって、毎日ちょっと疲れた顔でくたびれたスーツ着て満員電車のって、たまに居酒屋で飲みながら会社の愚痴言って笑って、イキイキしてる感あまりないような気がします。
個人的なイメージですが(笑)
けれど、「すごい人」はとにかくいっつも笑ってて、仕事の話する時も楽しそうで、失敗談も笑いながらしているし。
今を生きてるって感じが強い。
時間があるからとかお金があるから心の余裕があってそういうエネルギーがあるっていう考え方もありますが、私は逆だと思うのです。
だってそれを得るために、普通の人よりもたくさん考えることもやるべきことも背負っているものも覚悟の大きさも違うと思うから。
それでも進むエネルギーがあるからこそ、すごい領域にたどり着ける。
そう感じました。
2.視野が広く気配りがすごい
大勢でBBQしたり、飲み会したり、海で遊んだり。
そういう時ってお酒も入ってるのもあって基本自分が楽しむことに夢中になってし舞う人が多い。
これが普通の人の当たり前な気がします。
けれどすごい人たちって長い時間お酒飲んでるし、暑い中自分も疲れているだろうに、本当に周りをよく見ているというか。
結構女の子もたくさん来ていて、女性側からするとお金も払わずに普通ではできない体験をさせてもらっているっていう感覚なのに、すごい側の男性陣はわざわざ女の子がきてくれているっていう言葉を使っていて、来た人が楽しんでもらえるようにって動いている。
しかも気配りが本当に自然で。
素敵すぎました(笑)
3.常に「与える」感覚がすごい
前述した気配りにもかぶってくるのですが、基本的に自分がもらうというより、誰かに与えるという感覚が当たり前にある気がしました。
例えば周りを楽しませるとか、誰かにあげるというか。
普通の人ってどっちかっていうと、自分が何をもらえるかに意識がいっている場合が多いし、最悪誰かから奪おうともするし、与えてもらうことに快感を得ているような気がします。
けれどすごい人は逆で。
どれだけ大きなものを人に与えれるかの方に快感を感じているのではないかって感じました。
与える側にいるのが当たり前。
その余裕が本当にすごいし素敵でした。
4.使う言葉がすごい
ほぼ朝から晩まで一緒にいさせていただいたのですが、
その間に飛び交う言葉がネガティブなワードが全くない。
それだけでなく、周りに対してもポジティブな言葉を多く発していました。
小さなことに気づいてよく褒めてくれるし、いわゆるディスるような言葉は全くないし、周りの社長に対しても発する言葉に敬意を感じるような言葉を使うし。
失敗した話をする時もそれを恥じることなく隠すことなく、笑いながら「いい経験だった」と話すし、実力不足だったとはっきり言葉に出せる姿も素敵だなと思いました。
だからずっと一緒にいても嫌な気分になることがなく、聴いている自分までもポジティブになるというか、いい影響をたくさんもらえたんだと思います。
小さな当たり前の違いが大きな違いとなる
何度もいいますが、本当に肌で感じる世界の違う方々でした。
実績とか人間性とか資産とか余裕とか生み出す能力とか私なんかとは比べちゃいけないような方ばかりです。
でもみんな同じ人間なわけです。
では何が違うのか。
生まれ持った才能なのか、過ごしてきた環境なのか。
その影響が全くないとは言えないでしょう。
でも本当に違うのは日常の小さな当たり前だと思うのです。
普通の人は「まぁいいか」と思って適当にやってしまうこと
きついからと言い訳をして逃げること
自分には無理だと諦めること
そんなの重要なのかと軽視しているようなこと
そういうところをきっちりやっている方々だから、その当たり前の積み重ねが積み重なって、大きな現実の違いとして表れているのではないかと思います。
例えば
ちゃんと挨拶をすること
少し周りに気を遣う事
仕事に対して真剣に向き合う事
お金の流れを知ること
怖い挑戦でもやりたいことはやってみること
失敗してもそこで諦めない事
自分を信じて進むこと
そんな日常の1つ1つの当たり前が全く違う。
もうすでに意識しているというより、当たり前になっているから無意識でそういう進み方や振る舞いができる。
でもきっとその方々もそこに行きつくまでにはいろんなことがあったと思うのです。
最初から簡単に上り詰めれたわけではない。
だからこそ、その経験が今活きていて、風格になっている。
今自分にできることは何か
夢があるとして、なりたい自分があるとして。
突然そこに行けることはなかなかないです。
その目指すものが大きければ大きいほど。
いきなりすごいことはできない。
でも今の自分でもできることってきっとあると思うのです。
何かを成し遂げたいと思った時、今その現実がないということは今の自分の当たり前ではそこに届かないということ。
だったらちょっとだけ今当たり前になっていることを壊して、新しい当たり前を築いていくことが重要なのです。
すごいって思う人のまねを少ししてみること
今自分ができることのちょっと先に挑戦してみること
そうやって毎日を過ごしていたら、いつの間にか自分ののぞむ場所まで行けるのではないか、そう思います。
だって未来は今の積み重ねで構成されているのだから。
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