憧れで終わらせて手を伸ばさない者にはチャンスは訪れない
大人になるにつれて自分には無理だと諦めてきたこと。
きっと多くの人があると思います。
昔は無邪気に夢だけを描けていたはずなのに。
さまざまな経験を積むうちに、いろんな壁にぶつかるうちに、自分には無理かもしれないと思ったり、そんな才能がないと諦めたり、厳しい道のりを歩んでいく勇気がなかったり。
私にとってのそれは
自分がスポットライトを浴びること
でした。
1番になれないことがコンプレックスだった
昔から自分に何も才能がないことに気づいていました。
何をやっても自分が1番になれたことは1つもないことに、もう小学校の頃から気づいていましたが、大人になった今でも本当にそのジンクスが崩れたことはありませんでした(笑)
それが本当にコンプレックスで。
だからこそ、中学時代くらいから自分は前に出るのではなく、裏方としての才能があるのかもしれないと思って生きてきました。
自分がスポットライトを浴びれないのであれば、スポットライトを浴びる人がもっとそうなれるように動くことに関しては向いているのかもしれないと。
その勘は見事に当たっていたのか…
中学時代に部活動内で選手とマネージャーを兼任していたのですが、その際はマネージャーとしては結構チームに貢献できるような動きができました。
大学時代も部活動のマネージャーとして、監督秘書から動画解析の分析担当とかトレーニング補助とかもうさまざまな何でも屋として信頼していただきました。
その他のことでも、裏方に回って動く時はいろんなところで評価していただきました。
ありがたいことに。
裏方の仕事はとても楽しかったし、何より順位がつけられずに評価されることで気持ちの楽な感じもありました。
もちろん仕事自体は本当に大変なこともあるし、自分が損することも多かったです。
チームで言えば、試合に勝てば選手のおかげ。負ければ裏方のせいですから。
それは誰がいうわけでもないですけれど、裏方で働く上では基本的にそういう意識がありました。
1番になれない私にとっては、それは初めて人から求められた自分の強みであり、その上で1番になれないから競争を離れた逃げの選択でもありました。
違う世界を見せてくれた人
そんな私に、違う世界を見せてくれた人がいました。
それは前の会社の部長でした。
不動産の営業をしていてくすぶっていた私を出張中、食事に誘ってくれていろんな話をしてくれました。
自分が30歳という若さで部長になるまで。
それまでの自分が考えてきたこと。
自分の人生と本気で向き合っていくこと。
その中でこんな言葉を私にくれました。
「お前もスポットライトを浴びていいんだよ」
まだ2年目のペーペーで全然契約がとれていなかった半人前の私に対して、
お前にはすごい魅力も才能もある
それを認めていないのは自分自身
決めて進めばスポットライト浴びれるのに
自分から光を避けているだけ
お前が決めてすすむだけでいいのに
そんなことを言ってくれました。
初めて聞いた時、大号泣しました。
いいんだって。
私もスポットライト浴びて。
私もそっち側にいってよかったんだって。
嬉しくて。嬉しすぎて。
その言葉から私は仕事に対する意識が変わって、いろんな方法を用いたりしながら営業活動をただがむしゃらにではなく、考えながらも、全力で。
その2か月後からどんどんアポが増え、契約も上がるようになり、半年後にはそれだけ何もできなかった私が規定の数字を上げて、2年目にして昇格を果たすことができました。
初めて自分が少しだけスポットライトを浴びれたような気がしました。
憧れるだけで終わっていいのか
誰にでも憧れってあると思うのです。
こういう人になりたいとか、こういう生活をしたいとか、こういうものがほしいとか、こういう仕事がしたいとか。
そういうものにふれると、すごい気持ちが高揚する。
自分の現実とかけ離れたものであればあるほど、人は憧れを抱くし、その感動が抑えきれなくなる。
けれど、大半の人が冷静に考えた時、自分の現実との距離感を感じて、それはただの憧れだと。憧れで終わらせてしまうものです。
でも、じゃあそれでいいのか。
本当に憧れのまま終わっていいのか。
ただ、そんな世界を指をくわえてみているだけで、現実の世界に納得したふりをして、その情熱や夢に蓋をして、何もないような顔をして、生きていく人生に満足できるのかって。
手を伸ばさないとチャンスは訪れない
私自身、ずっと迷ってきました。
ずっと自分がスポットライトを浴びること、本当は心のどこかで自分だってって思いながらも、そんなことがないような顔をして生きてきたのです。
お金なんていらないし、普通の生活ができればいいし、ある程度の幸せでそれでいいと。
けれど、前の会社に入って、自分の価値観が変わって。
やっぱり自分もスポットライトを浴びたいし、自分が放つ光で誰かを照らせるような人になりたいって、誰かの人生に影響を及ぼせるような規模の人になりたいと思ったし。
そう思って、光を放つ人になるために、自分のやりたいことをやろうと思って会社を辞め、一人で動き始めました。
その上で、大切だと思える人に出逢って、昔から想っていながらも自分ができないからと思って諦めていた大切な人と人生を送って幸せな家庭を築きたいっていう夢に気づきました。
その時に私は自分のやりたいことを諦める決断をしました。
それでも、この前、経営者の方々と一緒に過ごす時間をたまたまいただいて、3日間ずっといる間に、その方々の放つ強い光に包まれて。
私もそっち側に行きたいと心から想いました。
そんな光を私も放てる人になりたいと。
今は全然何もできないただの普通の24歳だけれども。
いつかは対等に話してもらえるように。
今その人たちが見ている景色を同じように見れるようになりたいと。
でも家庭をもって母親になるという夢もあきらめきれない。
そんなことを考えていて。
先日思い出したのは前職の部長の言葉でした。
スポットライトは自分から浴びにいけばいいだけだ。
諦めきれないんだったら手を伸ばせばいいだけ。
憧れで終わらせていたのは自分自身なのだと。
私が本気で手を伸ばさないから手に入らなかっただけなのに。
それもせずに環境や誰かのせいにしているだけでした。
二兎を追うものしか二兎は得られない
憧れとは、自分が今手に入っていないものに対して抱くものです。
つまり今の自分では簡単に手に入れられないと思っているものだからこそ、その対象に憧れを抱くわけです。
それを今の時点で現実に手にしている人だって、ただ何もせずに手にしているわけではないと思うのです。
ということは。
憧れを現実にするためには、それだけの決断をし、それだけの覚悟をし、それだけの行動をしないといけない。
その憧れが大きければ大きいほど。
厳しい現実が待っているかもしれないし、傷つくことも多いかもしれない。
たくさん失敗もするかもしれないし、一人泣きたくなるような夜も増えるかもしれない。
プラスを得るということは、反対のマイナスも必ず手に入るわけです。
そのマイナスも受け取る覚悟をしないといけない。
そんな覚悟も行動も誰でもできるわけじゃないから、
そういう憧れられる側の人はそれだけの生活やお金や楽しみを得ているわけで、人とは違う強烈な光を放てるわけです。
私の大好きな言葉でこういうものがあります。
二兎を追うものしか二兎は得られない
何も追わないものにチャンスはやってこない。
追うからこそ、進むからこそ、何かを手にするチャンスを得ることができるのです。
本当に手にできるかどうかは別として。
例え、失敗したとしても失敗したという経験が得られるわけで失うものは何もない。
だけど、進まなければ何も得られないのです。
諦めるのはやってみてからでも遅くない。
その時間は何も無駄なんかじゃなくて、そんな経験がまた自分の放つ光の強さを変えてくれるし、その失敗が誰かを救うことができるかもしれない。
チャンスはそう多くはない
失敗してもまたチャレンジすればいい。
人生はまだ長いです。
けれど、重要なチャンスはそう何度もない。
だったら、そのチャンスが来た時に、それをつかむ準備ができているかどうか。
そのチャンスに気づける自分でいるかどうか。
それは日常の自分の過ごし方とか人に対する接し方とか、そういうもので変わってくるのだと思います。
チャンスを運んでくるのは大半が周りの人です。
大事なのはそのチャンスが訪れた瞬間だけではないのです。
だから普段から自分の目指したいものがあれば言葉に出していた方がいい。
どこで何がつながるか分からない。
周りの人にまた会いたいと思われる人
あの人に何かしてあげたいと思われるような人、
相手に得を与えれる人
いつも笑って明るく前向きな人。
そんな人であれば周りの人がふとしたタイミングに何かチャンスを運んできてくれる。
あとはそれに感謝をして、手を伸ばすだけです。
そのタイミングで行動するだけです。
誰にでもあるだろう憧れや夢。
普段は自分で隠して気づかないようにしている願望。
憧れで終わらせていては何も始まらない。
チャンスは訪れない。
手にできるのは手にしたいと望み、行動する者だけです。
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