『人生は20代で決まる』将来の自分を最高に楽しむための決断を今。
こんにちは!さおたむこと有栖沙織(@arisu_saori)です。
ちょうど1週間前ほどに目にしたキングコングの西野亮廣さんの書いたブログ記事。
>>「人生は20代で決まるから25歳で決断しろ」byキンコン西野 | 西野亮廣ブログ Powered by Ameba
『人生は20代で決まる』
『25歳で決断しろ』
読んだ日からずっとこの言葉が頭から離れなくて、ずっとそのことを考えていた。
3月で25歳になる現在24歳の私。
そろそろまた大きな決断をするべき時が近づいてきているようだ。
1回目の決断:23歳。会社をやめた
振り返れば、会社をやめてからまだ1年もたっていない。
今年の2月、会社に退職届を出して、誕生日の2日後、正式に退社となった。
23歳女子、突然会社を辞めました。 - さおたむの激情派劇場
どうしても23歳のうちに決断をしたかった。
その理由は単純な私らしいものだが、その頃周りにいた経営者の人たちが皆、なぜか「24歳」で決断をして踏み出していたからだった。
どちらにせよ自分でビジネスをやっていきたいというのは昔から自分の中にあって、あとはタイミングだけだった。
会社にいて経験を積むという考え方もあるが、会社にいては自分で稼ぐ感覚は身につかない。だったら早く自分で稼いでいく能力を培う環境に身を置く方が自分の為になると思った。
「その人たちよりも先に大きな一歩を踏み出したい!」それだけの理由で23歳で会社をやめた。
自由とは程遠いフリーランス生活の始まり
24歳になった私は意気揚々とフリーランスを名乗りだした。
もともとライターなんてやったことない、能力もない、人脈もない、何もないくせに見切り発車で飛び出した私は厳しすぎる現実にぶち当たった。
仕事をもらえるほどの信用も実績もない。足元を見られるし、不慣れなもので時間はかかるが大して収入はない。
それまで営業としてバリバリ働いてきたつもりだったが、会社という看板がなければ営業すら簡単にはうまくいかない。
フリーランスとは名ばかりでバイトで生活をつなぐ日々。
必死にPⅭの前に向き合い、夜は人脈づくりに駆け回った。
社長という肩書がある人の呼び出しには何時だろうと応じて、何時まででも付き合った。
すり減る神経。目に見えて減っていく通帳残高。届く支払明細。
もはや心も体も限界だった。
さまよい続けた半年間
そんな生活の中、たった1つだけの心の支えがその時いた彼氏だった。
毎日家にくる年下のその子にご飯を作り、一緒にくだらない話をしている時間だけが唯一自分の存在意義を感じられる時間といっても過言ではなかった。
社会とのつながりもない、誰の役に立っているか分からない、終わりの見えない日々にそれまで長い時間をかけて培った私の自尊心を簡単に砕いていった。
今思えば、あの時間は一種の現実逃避だったのだと思う。
現実が苦しすぎた私はその彼との時間とお酒に逃げることによって何とか自分のことを正当化して形を保っていたのだと思う。
6月のある日、その彼から言い渡された突然の別れ。
彼と戻りたくて、彼が望んでいた正社員になれば戻れるかもしれないと思い、夢を諦め、私は雇われの道を選んだ。
もちろんそんなことで一度離れた彼の気持ちが戻るわけもなく。
営業の頃からすれば半分以下の収入をもらうためだけに会社に出勤し、ただ与えられた仕事をこなし、休みの日だけ通常の自分に戻り遊ぶという夏を過ごした。
会社を辞めた時の決意なんてどこへやら。まぁそんなことを考えれる余裕すらその時の私にはなかったのだと思う。
ブログは大して書かなかったし、ライターの仕事なんてほとんどしなかった。
2回目の決断:24歳。再度フリーランスへ
そんな私を変えたのは、夏にたまたま出会った経営者の方々の姿だった。
誰もが知っているような大きな会社をいくつも持ち、楽しそうに仕事の話をしている姿。
その辺にいる周りの友達や大人とは違う輝きも優しさも包容力も色気も持ち合わせたその人たちの姿を身近でありありと見る日々の中で、昔の自分の想いを思い出すことが増えた。
「これのままでいいのか」という想いと「また傷つくのが怖い」という想いの狭間でひたすら自問自答を繰り返すようになった。
そんな答えの出ない日々の中、なぜか私を高く評価してくれていたある経営者の方がこう言ってくれたのだ。
「人生は長いから何度でも、何歳からでも、どれだけ失敗してもやり直せばいいだけ。
でも本当に大事なチャンスは2.3回しかないんだよ」
この言葉にハッとした。
このままでは終わりたくない。
もしかしたら大事なチャンスとは、こういうことを話してもらえる今かもしれない。
そう思い、再就職した会社を3か月で退社し、フリーランスとしての道を歩むことを決めた。
浸食を忘れて没頭する毎日は最高だ
再スタートしても最初の1か月はただひたすらバイトの日々だった。
正直、正社員になっても収入が少なかったため、生活はギリギリどころではなかったので、まずは生活を立て直すために必死ではたらいた。
本格的に動き始めることができたのは2ヵ月目の11月からだった。
まず自分にできることから地道に始め、毎日ブログを更新し、インプットの量も増やし、自分に有益だと思える場所には足を運んだ。
今すぐに収入につながらなくても、自分を信じて走ることとした。
「何をしているか」よりも「どこにベクトルを合わせているのか」の方がよっぽど大事だと言い聞かせながら、バイトとライターの仕事に精を出した。
寝る時間はかなり減ったし、自由もほとんどなくなった。
お酒を呑みすぎると次の日も動きが鈍くなるため、嗜むほどになったし大好きだった1人のみも時間とお金の無駄だと思うようになり、行かなくなった。
生活すべてが仕事になったので、自分ひとりでゆっくり過ごす休みの日なんて大してない。
一般的なサラリーマンが描く自由奔放なフリーランス像とは全く違うものだろう。
会社にいた時の方が時間もお金もあったことは間違いない。
けれど今の方が最高に楽しい。
無限の可能性の中、1つ1つ自分のできることが増えていき、結果も目に見えて変わってくる充足感は半端なものではない。
そしてそれ以上に、自分の30代・40代にこれまで以上に期待が持てるようになった。
どんな世界で生きていたいのか
西野さんの記事の中にこんな言葉があった。
結果が遅れてやってきて、30代や40代になって、ようやく「チャンス」が巡ってくることはあるが、そのチャンスをモノにできるかどうかは、20代の過ごし方次第だ。チャンスをモノにできる体力や癖や人間関係を20代のうちに身に付けていたか否か、それに尽きる。20代の過ごし方に全てがかかっている。そして、おせっかいなことを言わせてもらうと、25歳で判断しろ。突き進むも良し、撤退するも良し。いずれにせよ、25歳で自問自答して、20代後半の5年間は寝食を忘れて向き合える競技に参加しろ。ここで熱狂の5年間を選ばなければ、キミの30代は、キミと同じような生き方を選んだ者同士で肩を寄せ合うことになる。当然、その友人を介して出会う人も、また同じような人物だ。その頃、キミの心臓を掻き立ててくれる人物は、もうとっくに別の世界に進んでいる。
これを読んで思った。
もちろんどう生きるか、何の仕事をするかも大事だ。
けれどもそれ以上に最高におもしろい生き方をする、心臓を掻き立ててくれるような人たちと生きていきたいのだ。
そんな素敵な尊敬できる人と肩を並べて同じ世界を見ていたいのだ。
つまらない日々を慰めあいながら、つまらない愚痴を安い酒で流し込み、肩を寄せ合い誰かを羨ましがって生きる人生は絶対に送りたくない。
そう思った時、尊敬する上司の口癖が浮かんだ。
短期的な苦痛を買って長期的な快楽を得るか
短期的な快楽を買って長期的な苦痛を得るか
どちらを選ぶかは個人の自由だ。
何かを得る為には何かを捨てなければいけない、なんてことは世の常だ。
その得たいものが大きければ大きいだけ、差し出すものも大きく価値があるものでなければいけないだろう。
だとすれば、最高の未来のために20代の残り5年くらい差し出してやろう。
普通に生きれば手に入れられるであろう楽しい遊びも、安定も、快楽の時間も、現実逃避の飲み会も捨てて、寝食も忘れるほどの熱狂的な5年間を送ってやろうではないか。
決断の25歳を目前にして。
来年の3月で私は25歳を迎える。
この生き方をつらぬくとは決めたものの、今はまだいろんなことに挑戦して自分のバトルフィールドを探している状態だ。
25歳はそのフィールド探しのための挑戦に熱中するつもりだ。
その後の自分の人生を加速するための助走の時間とでもいえる。
大事なのは「どこにベクトルを置くか」。
そしてその決めた道をどれくらいのスピードで走るかどうかだ。
決断は早ければ早いだけいい。
それだけ人生は早く加速しだす。
もちろん論理的な思考も大事だが、考えて得られるものよりも、挑戦して得られることの方が大きい。
まずやってみないと分からないことだってたくさんあるのだ。
同世代へ。今しかできない決断を。
このブログを見てくれている人の大半は私と同じ20代の人が大半だ。
だから同世代のあなたに伝えたい。
私もまだ挑戦中の身だから偉そうなことが言える立場ではない。
ただ、2回の決断をし学んだことがある。
早く決断すれば早く学ぶことができる。
そして20代の挑戦は応援してくれる人も多いし、失敗に対しても寛容だ。
20代で行うことに大きな意味がある。
死ぬまでにはやりたいと思っていることを先延ばしにする理由はない。
どうせやると決まっているのであれば、早く挑戦して早く改善した方が自分のためだ。
もしもこれから迎える30代・40代を世間一般にいる疲れた大人のように過ごしたくないのであれば、なんでもいいから自分のやりたいことに挑戦するべきだ。
全部ほしいのであれば全部を追えばいい。
実際に20代を捨ててさまざまなことに挑戦し、私の理想を叶えている人が周りにいるからそれが可能だということを私は知っている。
だからこそ私は自由な時間も、サラリーマンでは得られない収入も、幸せな家庭も、全部を手にするために20代を捨てると決めて走り出している。
私はそんなおもしろい生き方をする人と一緒にこの世代を盛り上げていきたい。
一緒に高めあって挑戦して、失敗しても一緒に笑って乗り越えて、最高の30代を迎えたいと思っている。
今決断に迷っている人、挑戦して頑張っている人が一緒に新たな世界へより挑戦していけるように、私はもっと挑戦し結果を残し、その様子を発信をしていくつもりだ。
今はLINEでもそんな言葉や私が影響を受けた本・言葉を定期的に配信している。
人は一人では乗り越えられないことでも、誰かといれば限界からのもう一歩を踏み出すことができると信じている。
同世代の20代。今ともに踏み出そう。
これからの未来を盛り上げるのは私たちだ。
▼ブログでは話せない内容を発信してます!今すぐクリック!
▼さおたむとはどんな人?
「激情的な人生を楽しむ」さおたむのプロフィール - さおたむの激情派劇場
▼現在行っているサービス